CBSI | シービーエスアイ株式会社

港ヨコハマに拠点をおき世界トップクラスの舶用機器メーカーの製品を各国から輸入販売することで、社会に貢献しています。

企業と人材

CBSI創業者 中島清治 

意思と方法
誰でも、「こなりたい」「こうしたい」・・・といった気持(意思)を持っていると思います。これを「夢」「目標」「ビジョン」などと言っています。でもそれを達成するには方法(手段)が必要です。しかし、多くの場合、それを達成できない理由はすぐ浮かんできます。(お金がない、時間がない、能力がない・・・など)
「意思」と「方法」、どちらが大切でしょうか?それは間違いなく、意思です。強い意思さえあれば、方法は後からついて来るのです。

年齢と記憶
多くの方が「この頃、年を取ったせいか忘れっぽくなった」とか「年のせいか、ものが考えられなくなった」と、さも当然のように言います。また、周囲も「そうね、仕方ないね」と許容します。
でも本当にそうなのでしょうか?人間の頭には140億個のニューロンと呼ばれる細胞があり、死ぬまでの間に、ごく普通の人はその数%くらいしか使わないと言われています。換言すると残りはまっさら、新品同様なのです。記憶できないはずはないのです。でもどうしてそうなるのでしょうか?そうです、気持ちが萎えてくるからなのです。何か固定観念にとらわれてはいないでしょうか?すべては心の問題なのではないでしょうか。

WIN-WIN
私たちは学校教育からして、あまりに「自分が勝って相手が負ける-Win-Lose」の関係に慣らされてきています。ビズネスでも「これを相手に買わせて(Lose)金儲けしよう(Win)とします。それで良いのでしょうか?さすがに最近はCS(顧客満足度)が叫ばれるようになりました。これは、相手に何がしかのメリットを提供すれば(満足していただく)自動的に買って頂けるのだ、という事を意味します。
マーケティングの本質は「売れる仕組みを作る」ことだと言われています。相手が勝てば(Win)結果的に自分も勝つ(Win)のです。人間関係でも同じです。相手に喜んでもらえれば自分も嬉しいのです。

継続は力なり
私は研修などでよく「継続は力なり」という言葉を知っていますか、と尋ねるとほとんどの人の手が上がります。そこで「ではそれを実行していますか」と聞くと、とたんに手が上がらなくなります。この落差はなんでしょうか?この言葉の意味をもう一度噛み締めて見たら如何でしょうか。かの有名な発明王エジソンは「発明とはただ単に、できるまでやることだ」と言ったといわれています。また「皆は何回も失敗して、やっと発明した、と言いますが、私はそうは思わない。ああ、この方法ではダメなんだ、と何回も発見したにすぎないのだ」と言ったとのことです。

ノミのサーカス
ノミは自分の何倍も高く飛ぶことで知られています。このノミを箱に入れ、飛び出さないように蓋をします。するとノミは最初天井にぶつかるため次第に飛ぶ高さを変えぶつからないようにします。しばらくして蓋を取るとそのまま飛び出さなくなるそうです。この事実はなにやら私たちを象徴しているようです。
私たちは知らない間に多くの固定観念にとらわれてはいないでしょうか。今までやって来たことに安住しがちです。でもこれでは激変の時代を生き抜けないのではないでしょうか。

「思い」は成就する

 サラリーマンなら誰でも例外なく、いずれ「定年」が待ち受けている。一見当たり前のことのようであるが、私は50歳を過ぎる頃からこのことに疑問を感じるようになった。なぜなら、「自分の人生は自分で決めるべきなのに、自分の終わりが他人に決められてしまう。なぜなのだ」という思いがあったからである。その頃、人事異動で図らずも社内の教育部門に回された。本意ではなかったが、これを機会にと思い、改めて猛烈にビジネスの勉強をし直し、多くの気づきと学びを得た。
 そんななか、日本一の講演家・田中真澄氏の話を聞く機会があった。その講演での田中氏の二つの言葉に、大きな影響を受けた。
 その一つは、「終身現役」という言葉。そのとき、「そうだ、これだ!」と、ひらめいたのだ。「定年」の先は真っ暗闇が待っているように思えたのに、急に目の前が明るくなったのを覚えている。定年を避けるには独立するしかない、という思いが強くなっていった。
 では独立して何をするのか?二つ目は、「会社も、役職も取ってしまった裸の自分に何ができるのか?」という自分に対する問いかけが必要だという言葉である。多くのサラリーマンは、会社と地位が仕事の力になっているのを、自分の力だと錯覚しているのだ。田中氏はさらに続けて、「もし、何もできないと分かったら、何でもいいから今から始めたらいい。人間、5年間死ぬ気でがんばればどんないことでもプロになれる」と語った。田中氏のこの言葉はとても強烈で、これほど私に勇気を与えてくれた言葉はなかった。幸いにして、私は長年、外資系企業で働き、世界を飛びまわっていたので、国際ビジネスの遂行ということについては英語の力も含めてある程度自信があった。
 「啐啄同時」という言葉をご存知だろうか。鳥の雛が卵の中で孵化するとき、そろそろ殻を破って外へ出ようかな、と雛が考えるのと、親鳥がそろそろ殻を破って雛を外へ出してあげようかな、と考えるタイミングが一致して、同時に外側と内側から殻を突つくことをいう。私の場合はまさにこれであった。独立を模索しているとき、それまで個人的な付き合いのあったある米国メーカーの社長から、日本で事業展開をしたいので手伝ってくれないか、という誘いがあった。そこで、定年を待たずに、この誘いを受けて六年前に独立した。むろん年金はなく、また事業を行うのが目的のため失業でもないので失業保険はもらえず、リストラで退職金何割増などということもなく、無一文であったが、今考えると何にもどこにも頼らないという意味で「独立」の意味がスッキリしていてよかったと思う。どう事業を展開したらよいのか、についても社内研修部時代に再度ビジネスについて猛勉強したことが大いに役立った。独立後は、次第に相手先が米国からヨーロッパにまで広がってくるようになり、アイテムも増え多忙を極めている。さらに最近では経験を生かして、グローバルビジネスの研修も手がけるようになった。
 自分の持つ知識や経験が十分生かせるということはとてもうれしいことである。またサラリーマン時代と大きく違うのは、誰からも命令されるわけではなく、自ら楽しんで仕事ができるという点である。自分がすべての結果責任を取るだけでよい。そして自分の定年は自分で決められる。ある意味で「エンジョイ・ライフ」しているとも言える。今、私のクラスメートのほとんどが、「悠々自適」の生活を楽しんでいるようであるが、どうやら私にとってはその意味がちょっと違う。
 でも、私は「他人に決められてしまう定年になったことがなく、これからもない」ことにひそかな満足感を覚えている。